公認心理師(国家資格)に一発合格しました!ただの試験ではなく、人生を取り戻す試験だった話

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ご報告

公認心理師(国家資格)に一発合格しました!

橋本翔太資格なかったの? いえ。

2018年からの日本ではじめての心理職の国家資格なんです。

移行期間があり現任者の受験チャンスは来年まで(それ以降は大学入り直しが必要)

受験を決めたのが遅くて、およそ2ヶ月強、68日間吐くほど勉強して一発合格決めました!

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【今日は橋本翔太の自分語り】以下長文ですのでお時間ある方はどうぞ。貧困で悔しい思いをした自分を助けにいき、大人の自分が傷ついた自分を迎えに行きました。

【今回資格をとることにした経緯と想い】

●貧困母子家庭の人間にはチャンスがない

私は貧困母子家庭で育ったので実は大学受験において非常に悔しい思いをしています。

浪人は絶対にできない状況だったし、私立大学に進学できる経済的余裕はなく、選択肢は国立大学のみでした。つまり滑り止めを受けるわけでもなく、次の年にチャンスがあるわけでもなく、国立大学に一発で合格しないといけない状況でした。

かつそこに、母親からのものすごいプレッシャーがあり、自分が受験に失敗したら、母親が自殺してしまう(未遂してます)、という恐怖も持っていて、そしたら私も死ぬしかない、と言う非常に追い込まれた状況で、勉強し受験に取り組まなければいけない状況でした。

母親の無価値感、生きてる理由が息子の実績になっていたので、自分がしくじったら、自分のせいで母親も、また死のうとするのではないか、という恐怖心(当時はまだここまで言語化、自覚できていない)は常にありました。

親の命や自分の命をかけた受験になってるわけですから、当時の自分は、自覚はなかったものの、そのプレッシャーはものすごく、当日はそのプレッシャーに負け、結局センター試験で大コケをして、志望校の国立大学にはとても届かなくて、泣く泣くランクを下げて別の国立大学に進学しました。

もしも経済的な余裕があれば、有名私立校に受かる位の実力はあったのに、特に文系教科が得意だったので、三教科受験の私立大学であればもっと選択肢があったのに、お金がないから、経済的な理由から、自分の実力が潰されて、そして家庭環境という自分ではどうにもできない理由から、自分の実力が発揮できない、自分の生きたいように生きることができない、自分の努力が全く報われない、という悔しい思いをしました。

どんなに努力をしても、どんなにがんばっても、家庭の経済状況、と言う自分ではどうにもできない環境的理由のせいで、自分の努力では報われないと言う無力感、絶望にさいなまれました。

●臨床心理士の資格が欲しいけど、やっぱりお金がないと、無理だった。

さらにこの経済的な理由で自分の実力が発揮できないと言う悔しい思いに再びぶつかることになります。

それは臨床心理士の資格が欲しいと思った時でした。

臨床心理士は民間の資格ではありますが、当時は心理職になるために、唯一信頼できる資格とされていました。ただ臨床心理士の資格を取るためには、指定大学院を卒業しないといけません。

当時はまだまだ指定大学院が少なく、かつ、その指定大学院のほぼ大方が私立大学の大学院だったのです。

2021年の今でこそ、国立大学の指定大学院ゆもある程度は増えましたが、当時は私立大学に行ける経済的余裕がないと、指定大学院に進むことができないのが現実でした。

結局ここでも経済的理由からして指定大学院への進学をあきらめるしかありませんでした。

実際、大学院で全く同じカリキュラムや授業をとっても単位をとっても、指定大学院でない限りは、臨床心理士の受験資格を得ることができません。

臨床心理士は民間の財団が運営している資格でしたから(今は公益財団法人になってますが)結局その時にわかったのは、お金儲けのために私立大学と結託しているのだということ。

資格ビジネスとは言いませんが、受験資格のために指定されている大学院が、私立大学ばかりで、私が通えそうな国立大学の大学院はありませんでした。なぜなら、

仮に数少ない国立大学の指定大学院を目指そうとしても、当時私は、大学卒業後すぐに教員をすることが決まっていました。

大学院に進学するためには、借りていた奨学金だけでは足りず、生活と学費のために、教員を続けなければならず、勤め先の学校から離れた場所の他県の大学院には進学することができません。(仕送りもありません)

結局また、お金なんだ。お金がないと、だめなんだ。誰にでも平等に開かれた資格ではないという現実にうちのめされました。

結局ここでも、経済的な理由から、自分が進みたい大学院には進めませんでした。

公認心理師? どうせまたダメでしょ

日本で初めて心理の国家資格が出る、それが発表されたのは2015年です。2017年から、受験についての詳細が発表され、2018年に第一回試験が行われ、第一回の公認心理師が誕生しています。

私も当時、サイトをチラッと見たのですが、指定の大学や大学院を卒業していることが受験資格の条件になっていますし、現任者の枠があるものの、病院勤務などの、すでに臨床心理士として仕事をしている人たちに開かれているだけだと私は思い、悲しい気持ちで、サイトをそっと閉じました。

つまり受験資格ですら、もらえない。と言う学生時代に味わって悔しい気持ちを、ここでも、もう一度味わいました。

ところが、私のお友達の石川 美樹さんが、公認心理師の受験資格を得て、今試験勉強していると言うことを去年、2020年、さらっと教えてくれたのです。

本当ににびっくりしました。石川さんも私と同じように会社や施設に所属するのではなく、自分で心理の仕事をしている方です。臨床心理士では無いですし、病院勤務をしてるわけでもありません。その石川さんが受験資格を得たと言う事は、自分にもチャンスがあるはずだ…!

そこから慌てて受験資格申請に向けて動き始めました。

受験資格のためには、現任者講習と言われる講習をまず受けなければいけません。その上で、自分が心理職としてキャリアを重ねてきたことを、証明しなければいけません。

それらの準備を去年から淡々と行ってきました。受験資格が得られるのかさえわからないのですから、試験勉強も、なかなか手がつかず、ただ受験資格が得られるように、まずはそこに全力を尽くしていました。

●残り68日からのスタート

そもそもそ、受験資格がもらえるのか、すらわからないまま、本格的に勉強をはじめたのが、7/11日から。試験が9/19だったので、残り68日という状態でのスタートでした。(勉強法は後で動画にアップします)

仕事の合間を縫っての勉強がスタートしましたた。

●勉強しながら、当時の抑圧していた感情まで湧いてきた。それを受け取りながらの勉強。

1日2-4時間の勉強をつづけ、九月からは毎日6時間の勉強をつづけました。

しんどかったのが、当時、大学受験生時代にきっと感じていただろう、でもその時は抑圧していてあまり感じていなかった、

不安

絶望

緊張

が押し寄せてきたことです。

明らかに今の感情ではない、当時の感覚であろう、それらの感覚に何度も飲み込まれました。

「あー。これを、本当は、当時の自分は感じていたんだよな」

ということを何度も再確認しました。

つまり自分が抑圧してきた感情感覚をようやく感じることができているということがわかりました。

言葉にできないほどの重圧とプレッシャーに、68日間襲われ続けました。

まさに、当時の自分を救うために、今の大人の自分が、一緒に再体験しているかんじです。私がよくいう、傷ついた自分を迎えに行く、という状態を、ただのイメージではなく、行動を通して行なっている感じでした。

実際、現任者の移行措置はあと一年しかチャンスがないので、大学受験のときよりは、だいぶましなものの、今年落ちたら次はプレッシャーでダメかもしれない、というような妄想にも襲われました。

私は公認心理師の資格がなくても生きていけるし、仕事も差し支えないのに、

子供の頃からの無念さ、悔しさ、絶望、不安、そう言った、抑圧してきた感覚、私がよく皆さんに説明する(YouTubeの動画でよくやります)

✊←ここ

から、まさに膿がもれだしはじめたかのように、わいてきました。

この感覚から逃げたらまた抑圧になってしまいます。なので勉強の合間はこの感覚に浸り続けました。

久しぶりの抑圧してきた大物との対峙だったせいか、夜全く眠れなくなってしまいます。

試験対策として朝方にシフトしなければいけないプレッシャーも出てきて余計眠れないため、眠剤を処方してもらいました。

なぜか吐き気に襲われて、食べ物を全部吐いてしまうことも二回ありました。

自律神経が乱れ、交感神経ばかり優位になって、肉体にまで影響が出てきていました。(これらの症状は、試験が終わって2週間ほどで完全になくなりました)

私にとっては、ただの資格試験勉強ではないんだな、ということを自覚しました。

家庭の事情で、

経済面で、

親の都合で、

自分の人生、可能性をあきらめるしかなかった、

悔しい、悲しい、恨み、絶望。

うずくまって泣いている自分。

これらを、今の大人のになった自分が助けに行く過程なんだと、思いました。

●環境のせいにしたくない

お話ししたとおり、「自分には実力があるのに、外部や環境でつぶされてしまった」という無念さがあまりにも強く、今回の試験も環境が原因で失敗してしまうのではないかという恐怖に襲われていたので、

勉強以外に、環境対策をしました。

具体的には、

・都内の受験会場ではあったが、試験会場の近くに前泊する

・試験会場の下見を、何度もする

これを徹底しました。

ホテルに慣れるために、宿泊のための、宿泊練習を、本番の2週間前に行いました。

そこで会場の下見をすませて、当日と同じスケジュールで、朝ごはんをたべて、会場に向かう、シュミレーションをしました。

試験会場には、宿泊練習から通い、そのビルに自分を慣らし、

試験の時は、同じホテルに2泊して、その間も毎日会場を下見して、自分の体と意識を慣れさせました。

下見は本当に大切です。わたしはコンサートをするときは、可能な限り会場の下見をします。一度でも会場を見ておくと、当日の緊張感、演奏の質がぜんぜん違います。

場になれることは本当に大切です。

●子供の頃の自分を、今の大人の自分が全力で面倒みてあげる

宿泊の練習のために、宿泊するなんて、当時高校生だった自分にはお金がないわけですからできません。今、大人になった自分が、子供の頃の自分をまるで自分の子供のように、全力でサポートしてあげる、面倒みてあげる。そんな感覚で、これらを実行しました。

試験は2時間が二回の長丁場です。

当日、

「鉛筆をおいて下さい」という試験管の声の元

試験がおわった瞬間、

涙が溢れてきました。

まだ結果はでないけれど、本当によくがんばったね、という感動の涙です。

いままでなら、試験の結果がでないと意味がない、頑張ったところでそれが何? 結果がでてからこそでしょ、という冷淡な自分(ある意味、親の視点)があったのですが、

今回は、今の大人の自分と子供の自分が手をとりあって、よく頑張ったよね、ここまで頑張ってくれてありがとう、という

心からの労いの気持ちがわいてきました。

死なないで、ここまで生きてこれたこと、ここまで自分が回復し、飛躍しようとしていること、その全てに自分で感動していました。

無事、資格がとれましたが、それまでの過程が、大きな癒しのプロセスであったことは間違いありません。ただの資格試験が受かった、というだけではない、大きな意味があったことを改めて感じています。自分を褒めてあげようと思います。

私にとっては今回の試験が、壮大な傷の癒し、回復のプロセスでもありました。

長くなりましたが、このことは動画にもまとめてみようと思います。

#公認心理師 #橋本翔太 #はもしょう